So-net無料ブログ作成
検索選択

時にはお金を使うことも必要

こんばんは

現在深夜一時過ぎ、夜更かしブログです[目]

[手(チョキ)]只今お彼岸で皆様からお申し込みいただきました卒塔婆をやーーーーっと書き終えました[手(チョキ)]


それはそうと、卒塔婆の語源って知っていますか[exclamation&question]

サンスクリット語のストゥーパの音写なんですよ!!ストゥーパ→そとうば  何となく分かりますよね[決定]

ストゥーパとは仏塔のことを言います。

お釈迦様が亡くなった後、仏様を恋慕渇仰し、その教えを高顕するために仏塔を建立しました。

仏塔を建立することが「修行」であり「功徳」と捉えるのです。

その後、仏教が伝来した日本でも豪族・貴族・大名などの有力者がこぞって五重塔などの仏塔建立を発願し、功徳を積みました。

ただ、これでは民衆には到底手が出せません。民衆がもっと簡単に功徳を積みたい。

こうして登場したのが木板製の卒塔婆なのです[ひらめき]

卒塔婆にはありがたい経文と、亡き精霊の法号を書きます。

日蓮聖人はご遺文の『中興入道御消息』で

「去りぬる幼子の娘御前の十三年に、丈六の卒塔婆をたてて、その面に南無妙法蓮華経の七字を顕しておわしませば、 北風吹けば南海の魚族、その風に当たりて大海の苦をはなれ、東風来たれば西山の鳥鹿、その風に身を触れて畜生道を免れて都卒の内院に生まれん。 況んやかの卒塔婆に隨喜をなし、手を触れ眼に見まいらせ候人類をや。過去の父母もかの卒塔婆の功徳によりて、天の日月の如く浄土をてらし、孝養の人並びに妻子は現世には寿を百二十年持ちて、後生には父母と共に霊山浄土にまいり給わん事、水澄めば月うつり、 鼓を撃てば響きのあるが如しと思召し候え」

と、有り難い文章を残されています。

我々が卒塔婆を建てると、霊界ではとてつもないことが起こるのです。法華経でも「まさに塔を建てて供養すべし」と起塔供養を推奨されています[exclamation×2]

また、日蓮聖人は別のご遺文でも「我々の口から発したお経が金色の仏様となってあの世の精霊を尋ねて救ってくれる」とも仰っています。

目に見えないものへの畏敬の念を失い、物質に執着しがちな昨今ですが、自らの身を削って他者のために尽くし、卒塔婆を建てたり、お花や供物を購入し、時間と労力を使って寺詣り墓参りに行き、大切な命の源である先祖へ感謝の誠を捧げることは決して「損」ではありません。必ず自らに功徳が還ってきますよ。[わーい(嬉しい顔)]

目先では、交通費、供物代、卒塔婆・お布施ect・・・財布からお金がなくなり、折角の休日をレジャーに行きたいし、これだったらこのお金を自分達のために使った方がよっぽど有効的だし「得」なんじゃないか?と考えることが今時自然なのかもしれません。

仏教の教えや供養の意義などを、皆様に伝えきることができていない仏教界や僧侶は真摯に反省し、いっそう精進してその教えを示していく必要があるでしょう。

最近お寺に納骨をのぞむ相談が多く寄せられます。相談者の事情を聞くと

「親が他界したが費用がかかるし、忙しいので葬儀はしなかった。しかし、遺骨を家に置いておくわけにもいかない。墓地を建てるのも大金がいる。永代供養も費用がかかるので、ただ納骨してほしい」

と言うのです。この方は結局、骨を手放したいが投棄するわけにはいかないので、お寺に預けたというお墨付きがほしいんですね。

拙僧は思わず力が入ってしまい、

「お金お金と言うが、あなた結婚式の時にお金を沢山使ったでしょう。おたくの ”出来の良い”子供が成人するとき、やれ貸衣装?やれ晴れ着購入?記念写真?お金を沢山使ったでしょう。自分へのご褒美といって欲しい物を買ったことはありませんか?今回は育ててくださった親の供養。ここにお金を使えませんか?

どうして大切な親の人生の卒業式にお金をかけられないのですか?どうして葬儀にお金を使うことをいけないことと考えるのですか。当然お金はかかりますよ。費用はかかりますよ。でも重恩の親のために使うのですよ。仏教ではそのような行為を惜しむことを「餓鬼の所業」というのです。

お布施に決まりなど無いのだから、本当にお金がなければ、こちらは一生懸命供養もします。でも、あなたはただケチなだけで、金が惜しいだけ」

と言ってしまいました。こういった話はデリケートなんですよね。僧侶が「お金かかって当然」などと発言すると誤解されかねないのです。拙僧はその方の心の有り様を申し上げたのです。

医者に今晩が峠と言われた母が「一生に一度ダイヤの指輪を指にはめたかった」とうわごとを言えば、夜通し宝石店を探してでも指にはめてやろうと感じるのが人としての情であり報恩だと思うのですが、それですら「もったいない」と一蹴される。

明日無き命に大金は叩けないのだから、死人にはなおさらなのでしょう。不孝ですね。まったく。[バッド(下向き矢印)][パンチ]

紹介する法話、是非お読みください。分かりやすいです。
法話「四恩の大切さ」
http://www.rinnou.net/cont_04/rengo/2006-02.html

列車中での想い出 [住職日梵より]

ダイヤ改正の度に、懐かしい列車が姿を消していく。今日も「寝台特急日本海」がラストランを迎えた。報道を見ていると、懐かしくもあり、一時代が終わっていく一抹の悲壮感がある。

 最終列車にホームから「ありがとう」と声がかかる。中には感傷的と捉える人もあるだろう。しかし、その対象が「モノ」であったとしても、感謝を抱く心は実に美しい。

 拙僧も約20年前に免許を取得し、給料をはたいて(当時浅草でサラリーマンをしていた)初めて購入した愛車「カローラⅡ」を手放すときの、あの寂しさは今でも忘れることがない。青春の想い出が全て詰まったような車だった。感謝を込めてワックスを塗って送り出した。今でもたまに同車種を見かけると、ふと自分が乗っていた車を思い出してしまう。

 仏教には「草木国土悉皆成仏」という考え方がある。チベット仏教ではそのような捉え方はしないようだが、ダライラマ法王は日本仏教のその思想に深く感銘を受けて、シフトチェンジしたと聞いた。さすが法王は固執していない。時代に敏感である。

 モノであっても自然であっても成仏するといった思想はいっけん非現実的のようだが、これからの時代に必要な考え方だと思う。現代日本は自分自身が生きるのに必死なあまり、自分本意の生き方に徹し、人の気持ちや、他者からの恩・善意、目に見えない神仏や先祖を意識しない傾向にある。他力本願なのに自己主張はしっかりする。してほしい(得)のに、し返さない(損)。

 あらゆる価値観が尊重される良い時代?なので、屁理屈も多い。自分が身を削って他者に喜びを与えることを「無意味・損する」と思う人が増えてしまった。モノも心も消費されるだけ。

 話がそれた。学生時代に「ムーンライトながら」という夜行に乗車した。定刻通り東京駅を出発。まぎゃくの席に座った老人はビールとちくわを用意した。夜行旅情を楽しむには欠かせないアイテムだ。品川を過ぎ、川崎に差し掛かろうとしている。その老人はまだ、ちくわの真空パックを開けられずにいる。横浜に着いた。結局開けるのを諦めてしまった。

 私はその老人に話しかけてちくわをスッと開けてあげた。老人は嬉しかったのか、自分の用意した酒やつまみを私にすすめてくれる。結局私の用意した酒やつまみも混ぜて楽しい夜行車中談義が始まった。いつしか話は戦争の話へ。先人の大変貴重な話だった。気がつくと一睡もせず名古屋。私も老人もあくびをしながら別れた。懐かしい想い出である。日本海の報道を見て思い出した。  住職 日梵

東日本大震災慰霊法要に参列しました [菩薩団活動報告]

副会長 守岡 悟です。

 本日3月11日、日蓮宗滋賀県青年会主催、東日本大震災慰霊法要が滋賀県近江八幡市 日蓮宗本山 村雲御所瑞龍寺門跡に於いて執り行われました。我らが本要寺菩薩団、法華寺菩薩団から18名参加しました。

 本要寺菩薩団からは会長の今枝さんご夫妻と婦人部長の吉本さんが各々集合。私は法華寺菩薩団会長も兼ねていますので、朝9時45分法華寺を出発。数台の車に乗り合い現地に向かいました。道に迷うというトラブルもありましたが時間までに到着し12時から始まる行脚に参加。多人数での行脚はやっぱり迫力ありますね(^O^)初めは小さかったお題目も太鼓もいつしか大きくなり近江八幡市内に盛大にこだましていたように思います。約45分の行脚もあっというまに終わったように感じました。

 続いて14時から村雲御所瑞龍寺にて大法要が行われました。滋賀県のお上人様20名位おいでになりましたでしょうか。普段の法要とは明らかに違い、大法要の名に恥じないすばらしい法要です。

 ちょうどお題目を唱えている時、司会者から14時46分のアナウンスが。自然とお題目に力が入り追悼の念も高まりました。[グッド(上向き矢印)]

日本中の人、また世界中の人がこの瞬間祈ってたんですね(^o^)

早く復興してほしいものです。その為にも出来る限りの努力を個人、また菩薩団でもして行きます。
[手(グー)]がんばろう。[手(グー)]

初参加だったメンバーも参加して良かったと今後期待出来る感想もありました。

みなさん1日ご苦労様でした。

そして、この慰霊大法要を企画してくださった滋賀県日蓮宗青年会の皆様、ありがとうございました。

写真の位牌は法華寺本堂に安置してある「東日本大震災物故者霊位」の位牌を持参しました。本要寺の位牌はあいにく持参できませんでしたが、同じ位牌が本堂に安置されています。
DVC00468.JPG

3月11日が近づいてきました [住職日梵より]

 フェイスブック上で、3月11日に開催される京都マラソンに反対する日記を発見しました。

 以前著名人が震災後翌月のディズニ​ーランド再開時に一万人が行列し、子供がはしゃぎ、へらへらする​親の映像にふれ

 「未曾有の大災害が眼前に広がっているにもかかわ​らずが、いまだ同じ論理で生きる国民に警鐘を鳴らし、本当の復興​をしようと思えば「価値観」そのものを変化させる必要がある」

 と​発言したことを思い出しました。花見自粛の問題もありましたが、​慮る行為が大切と思い、当山では檀家さんと慰霊法要後、地味に行いました​。

 京都は送り火問題もありました。種々意見はありますでしょうが、拙僧もこの日付選考には感心していません。まだ一周忌ですので、少なくとも当日の午後​はしめやかに過ごしたいものです。 本要寺住職 中紙賢孝日梵

滋賀県日蓮宗青年会主催 東日本大震災一周忌追悼慰霊法要参加のお知らせ [菩薩団活動報告]

このたび滋賀県日蓮宗青年会主催の大震災慰霊法要が、御正当の日に本山瑞龍寺門跡にて厳修されます。我々の人生で千年に一度と言われる災害に巡り会った縁をとらえ、本要寺菩薩団も使命をもってこの法要に参加し、犠牲者慰霊のお手伝いをしたいと思います。万障お繰り合わせの上参加願います。 

日時 3月11日(日) 

・午前11時30分 現地集合
   (集合場所 近江八幡市宮内町八幡山ロープウェー山麓駅)

・正午から 近江八幡市内慰霊行脚

・午後二時から慰霊法要(日蓮宗本山 近江八幡市 瑞龍寺門跡)

忘己利他 [菩薩団員雑記・日記・ひとこと]


本要寺菩薩団員の中紙倫子です。


『己を忘れて他を利する』


人間は法縁により仏性に目覚め、己を忘れて、 社会の為、人々の為に奉仕できる姿こそ
慈悲の極み。
菩提心の発露。


「一隅を照らす人間であれ」と伝教大師は説かれました。



とても良い言葉です。
今の世の中だからこそ、とても響きます[ぴかぴか(新しい)]


自分に余裕がないと他の人には目は向かないものです。
だからといって、自分のその目を内にばかり向けていて
何か変わっていくでしょうか?


自分のことばかり気にしていて、周りのことには無関心。
それでいて自分の置かれている状況を周囲に理解するよう要求する[ふらふら]


皆、何かしらの悩みや苦しみを抱えて生きています。


それが、この世に生まれてきた私たちの修行なのです[ぴかぴか(新しい)]


私たちがこの世に生を受けた時から、心の中に持っている鏡。
その鏡は、修行を乗り越えていけばいくほど、
頑張れば頑張るほど磨かれていくのです[ぴかぴか(新しい)]



自分の人生がいつか終わるとき。

その鏡をどれだけ輝かせていられるか・・・

輝かせることができるのも、曇らせるのも、

全て自分次第[exclamation]

結果は誰のせいでもありません。



自分のことばかり考えていては磨かれないでしょう。

人を羨んでいても、何も始まらないでしょう。


大きな事をしなくたって良いのです。

他に目を向け、人の気持ちを考え行動すれば、
人の為になることもあるでしょう。
社会の為になることもあるでしょう。


外に目を向けていったら開ける世界がきっとあります[ぴかぴか(新しい)]


共に頑張りましょう[黒ハート] 共に生きましょう[黒ハート]




この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。